サラエボにあるトンネル博物館の入り口(左側)もともとは普通の民家。
壁には砲弾のあとがたくさんみられます。
|
07 August 2014
今朝の朝ご飯は、素直に買ってきて食べようということになり、ママと娘の二人で買い物に出ることにしました。
通りを歩いていたら見知らぬおじいさんが近寄ってきて、おもむろに娘にチョコレートを一つくれました…。
子供好きなお年寄りはどこの国も万国共通なんだなぁ。
断る理由もないので(言葉も分からないし)お礼を言ってありがたく頂いたけど、娘はもらったらすぐにチョコレートをポイっと口の中に放り込んであっという間に食べてしまいました…。
せっかくもらったチョコレート、もう少し味わって食べようよ…。
今日の朝ご飯は、結局近くのトルコ系のベーカリーのようなところで、チーズやほうれん草の入ったパイのような物(ブレドというらしい)を買い、宿のとなりにある薬局スーパーでドイツからの輸入品の高級フルーツジュースを買って部屋に戻り、家族3人仲良く食べました。
その後、たまった洗濯物を洗って欲しいと宿の受付でお願いしましたが、今日中の仕上げは難しい(天気も悪かったし)とのことで、街中にある乾燥機のあるコインランドリーを紹介してもらいました。
ダディが洗濯ネットにはいった洗濯物をそのままもって出かけて行ったのですが、途中洗濯物を片手に道に迷ってうろうろする旦那を見て、地元の人が親切に場所を教えてくれたそうです。ボスニアの人は本当に親切です。
オールドタウンの路地裏にある、洗濯機と乾燥機があるのみのオーストラリア人の若い女の子が経営する小さなお店だったそうですが、バックパッカー旅行者がたくさんいるサラエボの中で、今まであるようでなかったサービスに大繁盛しているようだったそうです。
ちなみに、わが家は旅の間、洗濯ネットに汚れた洋服をためていくようにしていて、3〜4日に1回位の目安で洗濯をしています(洗濯が無料の宿に滞在している場合は頻繁にします)。なので、持って行く下着類は4セットずつあり、4日に一度くらいは、洗濯機やランドリー施設がある宿泊先に滞在するようにしています。もしくは、こまめに夜のうちに手洗い…。
さて、洗濯物が出来上がる夕方までの間、昨日の夕方宿の人に予約を入れておいた「トンネルミュージアム」へ行くことになっています。
宿のオーナー自らガイドも務めてくれるこのプライベート・ツアー、一人20ユーロ(二人で40ユーロ、子供は無料)と他社よりもお高めだけど、チャイルドシートつきの車で、色々融通もきく(途中でトイレ!とか…)ので、子連れの旅には最適です。というか、他のツアーを探すのが面倒くさかったというのもありますが。
公共交通を乗り継いで行けないこともないらしいけど、サラエボ空港周辺というちょっと辺鄙な場所にあるがゆえ、子連れ旅には難しいかな…。
トンネル博物館は、市街地を抜けたサラエボ空港近くにあります。
長さ800メートルほどのこのトンネルは、1993年にサラエヴォがセルビア人勢力に包囲されていた時、外から物資の輸送を行うために空港の下に作られたものだそうです。
ごく普通の住宅が並んだうちの1軒の民家がそのトンネルの入り口となっています。
その民家は現在、トンネル博物館となって開放されているのですが、その民家だけでなく周囲の住宅の壁には、実際にここで銃撃があったことを記す小さな穴が無数に開いていてました。
その砲弾跡が、この地で過去に起こった悲惨な出来事にさらに現実味を増しています。数多くの人々がこのトンネルを必死な思いでくぐっていったのかと思うと、本当になんとも言いようのない気分になりました。
トンネル内はこのようなトロッコで物資を運んだそう
トンネル内は天井が低く、狭くて薄暗い
博物館内では、当時の写真や遺品などの展示品、また当時の様子をまとめたビデオを見る事ができました。
そしてトンネルの一部分、約20メートルほど、を実際に通り抜ける事ができるのですが、頭をかがめないと通れないほどの小さなトンネルで、両端から敵に気がつかれないようにこっそりと掘り進めたその苦労は、想像を絶するものだったことでしょう。
娘は薄暗いところに何かを敏感に感じ取ったのか「帰る〜」とか「こわい〜」と言っていましたが、
「大丈夫こわくないよ。このトンネルはね、たくさんの人を助けた良いトンネルなのよ。」と宿のオーナーに言われ、ちょっと安心したのかその後はおとなしくなり、
トンネルの中もちゃんと一緒に通ってきました。
ガイドしてくれた宿のオーナーによると、サラエボが包囲されている間、United Nation(国際連合)による人道支援もあったそうですが、必要なところに必要な物資は届かず、『United Nothing』、要するに「役立たず」と揶揄されていたそうです。
救援食料は、まるで宇宙食のようなアルミのパウチに入った味気ないもので、当時、かろうじて食べられたものはピーナツバターくらいで、他はまずくてとても食べられたものではなかったそうです。
こんな話を自分とそんなに年が変わらない人とするなんて、とても信じられません。
NATO(大半はアメリカ)の介入によって終結したサラエボ包囲ですが、月並みな言葉しか出てませんが、この戦闘で失ったものはあまりにも大きすぎます…。
心から世界の平和を願ってやみません。
ガイドをしてくれた当時を良く知る宿のオーナーとこの博物館に来て、貴重な話をたくさん聞け本当に良かったと思いました。
トンネル博物館を訪れた後また街へ戻る途中、宿のオーナーが丘の上の眺めのいいレストランに連れてきてくれました。サラエボの街を眺めながら、さらにサラエボの街の現在の話を聞きながらティータイムです。
トンネル博物館ツアーは終了し、宿に戻る頃には午後3時ちょっと前くらいになっていました。、宿のオーナーにおすすめのレストランを聞いたので、遅いランチでボスニア料理のレストランへ直行します。
Sedef
Ferhadija 16, Sarajevo, Bosnia and Herzegovina
お店の人は英語が話せなかったけど、お客さんの一人が通訳してくれて、無事においしい料理を頼む事ができました。
さすが地元の人が推薦するだけあって、とっても美味しかったです。そして、美味しいお店は、店員さんの態度もフレンドリーでやっぱり違いますね。
ああ、なぜもっと早くおススメのレストランを聞かなかったんだろう…。
ボスニア料理スペシャル!ひき肉の詰まったト マトや餃子みたいなのとか肉団子とか…
遅い時間のランチであまりお腹が空いていませんでしたが、意地でも美味しいところに行くぞ!と、サラエボ最後の夜は、これもまた宿のオーナーに教えてもらった日本大使館の裏側にある地元ボスニアビールの工場内にあるレストランで食べました。
ビールはもちろん料理も美味しかった!
レンガ作りの建物で高い吹き抜けの天井にものすごく広い空間が気持ちよく、雰囲気がよとてもかったです。
Pivnica HS
Sarajevo Brewery
Franjevacka 15,
71 000 Sarajevo
Bosnia and Herzegovina
レモンビール
ボスニアンドラフトビー ルを飲んだ後…
飲み較べできませんでしたが、
ビールはフィルター、ライトフィルター、ノンフィルターの3種類。
その後、宿に戻って、明日は早起きをしないといけないので、ママが娘の寝る準備、寝かしつけを担当。その間、ダディはチェックアウトと宿の支払いを済ませ、駅までの行き方を聞いてきてくれました。娘が寝た後、ママは荷物をパッキングをし、目覚まし時計をかけてみんな早めに寝ました。
明日は朝一で電車に乗ってボスニアを南下し、「モスタル」という世界遺産の街を訪れます。
***子連れ旅情報***
サラエボ/ボスニアヘルチェコビナ
街の子連れに優しい度 ★★★
特に子供向けの施設やアクティビティがあるわけではありませんが、みんな子供に優しいのと、歩行者天国となっているところが多いので、子連れで歩いていても安心です。
電車料金:6歳以下は無料。6〜11歳は子供料金。
子連れアクティビティ充実度:★★★
子連れ食べ物充実度:★★★
赤ちゃん用品の充実度(手に入れやすさ):★★★★
薬局やスーパーで購入可能です。ただし、大きいサイズのおむつは見つけにくいかも。
宿泊:
ホステルバガボンドHOSTEL VAGABOND
きれいで場所もいいところにありスタッフもとても親切だけど…。
若干割高な感じがします。
宿の子連れに優しい度 ★★★★
小さい二人の女の子がいるオーナーを始め、スタッフはみんな子供にやさしいしとても親切です。
特にチャイルドフレンドリーな建物ではありませんが、事前にリクエストすれば色々対応してくれるはずです。
0 件のコメント:
コメントを投稿