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子連れでパミールハイウェイの旅 (1日目)
本日の旅程:
オシュからサリーモグル 3.5 時間
サリーモグルからタルパーコル湖 1時間
(キルギスタン)
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荷物をまとめて8時に外に出ると、予約していたドライバーさんが、すでにお迎えに来てくれていました。
車は、10年落ちくらいのパジェロ。運転手さんは20代後半〜30代前半くらいかな。
チャーターする車は、ほぼランドクルーザーかパジェロの二択で、ランドクルーザーの方が乗り心地が格段に良い!
と読んでいたので、パジェロを見たときは、ちょっと残念でしたが、 運転手さんは、感じが良く、意思の疎通が計れるくらいの英語力があるようだったので、安心しました。
昨日の話はこちらから
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オシュからサリーモグルへ
ドライバーさんとのあいさつもそこそこに荷物をトランクに積んでスペイン人のマークが宿泊する宿へ向かいます。
昨日夕食を一緒に食べた今回のパミールハイウェイ7日間の旅を共にすることになったスペイン人のマークとは、Caravanistanという中央アジアの情報が載ったサイトのフォーラムで知り合いました。
ママが、パミールハイウェイの車のライドシェアー募集を出した時に唯一連絡をくれた子です。一緒に旅する事で、7日間でかかる車代の1/4を支払ってもらうことになっています。
昨日の晩御飯時に初めて会ったマークは、22歳ながらとても落ち着きがありしっかりしていて、普段はバルセロナの大学でツーリズムを勉強しているとのこと。
学校が休みの間は旅行に出かけ、学期中はホテルで働いていて、スペイン語、英語の他にもフレンチ、イタリアン、ドイツ語などの言語も話せるマルチリンガル。
昨年はキルギスタンを中心に周り、遊牧民と共に10日間一緒に生活していたという写真を撮るのが趣味の旅慣れたマーク。中央アジア初の我が家にとっては、心強い旅仲間ができました。
「やあ!」とマークを乗せて、出発したのは8時40分くらい。
本日の目的地、サリーモグルの先にあるレーニンピークの麓の湖、タルパーコル湖(Tulpar Kol)の湖畔にあるユルトキャンプへと出発です。
出発して30分もしないうちに、ドライバーが突然、店先で車を停車。
何かと思えば、 おっきなスイカ2玉を両脇にに抱えトランクへ。運転手のおやつかな??
オシュを出ると、牧草地が広がるなだらかな丘が連なる風景が続きます。
ところどころに遊牧民の生活する白いユルトが建っています。
道路沿いに川、丘の斜面には牛や羊などの家畜が草を食む姿が見え、牧歌的な風景を見てるとなんだかゆったりした気分に。
3時間くらいすると峠道に差し掛かりました。
峠道といえば、日光の「いろは坂」くらいしか思いつきませんが、キルギスタンからタジキスタンにかけて広がるアレイ山脈にあるタルディ・パス(Taldyk Pass)は、スケールが違う!
標高3600メートルある峠のてっぺんには、この峠の建設を指揮した人の記念碑がありました。 そこからの眺めがあまりにも絶景で、車を止めてちょっと休憩。
標高が高いだけに空が近い! ついでに岩の陰で青空トイレ(笑)。
ややびっくりしたのは、その記念碑の周りで遊んでいる幼い姉と弟。 こんな辺鄙な所にどこから遊びに来たんだろう?周囲に何もないんですけど。そしてこの子達の両親はどこ??
話しかけると、そのお姉ちゃんの差し出した小さな手に、かわいい野の花が。プレゼントしてくれたようで、笑顔で「サンキュー」と言うと、少しはにかんだような笑顔を返してくれました。
くねくねと蛇行する峠道を下りきり、さらに30分くらい経った頃、オシュからタジキスタンへと続く幹線道路沿いにあるキルギスタン側の最後の街サリータッシュに入りました。ここで道を右に折れてサリーモグルへと向かいます。
左手には、青空の下にピークレニンへと連なる白い山々が見えます。その姿はなんとも言えず美しくて神々しい。
山と並行してしばらく走ると、また小さな集落が見えてきました。
村の入り口で左折すると、舗装されていない砂利道が続き、土壁やコンクリートの簡素な作りの住宅が並んでいました。
標高3000メートルの場所にある、およそ1000世帯4千人ほどの住民が住む小さな村、サリーモグルは、ピークレニンへの登山やハイキングのゲートウェイです。
この村に今回の車とユルトキャンプを予約したCBTオフィスがあり、ユルト宿泊代とオシュ〜ムルガブまでの車の代金支払いに立ち寄りました。
「え、これオフィスなの?」
と、ちょっとびっくりするような建物にCBTのオフィスがありました。
ここでメールをやりとりしていた人と初対面。 そして、支払いを済ませている最中に、娘が急に嘔吐。娘は、オフィスのスタッフの女性がくれたお水を飲みつつ「I'm sorry to disturb you(迷惑かけてすみません)..。」と涙目で言いながらもさらに全部吐き切ると、少し落ち着いた様子。
「ひょっとして高山病かも?」と心配になっているところに、スタッフの女性が「タルパーコル湖は、ここよりも高度が上がりますよ。」と。
ダディは「僕と◯◯(娘)は、ここに残って様子を見るから、ママとマークの二人でユルトキャンプに行ったらいい。」と言い始め。。。
ママ的には、
- オシュで宿泊していた宿が暑くて、ぐっすり睡眠が取れていなかったこと
- 未だ時差ボケを引きづり毎晩夜が遅くなっていたところに今朝は早起きだったこと
- 道が悪かったことで車酔いしたこと
など、他の要因も色々ある気もしたので、取りあえず、村の中のカフェでランチを食べて様子を見てみようと言うことに。
トタンでできた建物のカフェには、メニューはなく、マンティがあるというのでみんなでマンティとチャイで腹ごしらえ。
お腹が落ち着いて少しゆっくりしたら、娘が「もう大丈夫」と言い始めたので、その言葉を信じて、レーニンピークの麓にあるタルパーコル湖のユルトキャンプまでの旅を続けることにしました。
サリーモグルからタルパーコル湖へ
レーニンピークは標高7130メートルありながらも、比較的難易度が低いらしく、ヨーロッパの登山愛好家たちに人気のある山なんだそうです。
その山の麓にある今晩わが家が宿泊するCBTのユルトキャンプがある場所で、標高3500メートル。 その後、標高4000メートル地点を通過したりしばらく標高の高いエリアを移動するので、何かあったらすぐ低いところに戻れるこのキャンプで1泊し、体を高度に順応させる予定です。
サリーモグルの集落から、砂利道どころか大地を流れる川を越え、草原以外何もない道なき道をジープで走ることさらに約1時間。
15時過ぎにやっと白いユルトが並ぶCBTのユルトキャンプに到着しました。
湖の目の前にいくつか並ぶ白いユルトの一つに案内されました。
娘が2歳の時にモンゴルで泊まったゲル・キャンプに較べるとかなり質素です。
テントの中は、入り口近くにある薪ストーブが一つとベッドが4台。
床には地面の上に直接敷かれた絨毯があるだけ。ベッドの下は茶色い地面が見えています。 靴を脱いで絨毯の上を歩くと地面の湿気でしっとりとした感触。
荷物を降ろし、レニンピークに向かう人たちが泊まるベースキャンプまで往復3〜4時間で帰って来れると聞き、日没が8時過ぎでまだ明るいので夕食前に皆んなでハイキングに行ってみることにしました。
最高の眺めを見ながら最初は順調に歩いていたのですが、やはり高度が高いせいか息が切れがち。
娘も「もう歩けない」「もう戻ろう」と言い始め、休み休み途中まで歩いていましたが、小さな渓谷を越え丸太を渡しただけの橋を渡って川を超え、目的地のベースキャンプが遠くに見えたところでついに断念。
わが家三人に歩調を合わせながら歩いてくれてるマークを前に「◯◯(娘)がもう歩けないって言ってるし、僕らはこの辺で戻るよ…」と、心の中では、ママもダディも「もう歩けない…」とギブアップ。
22歳の若者マークは、「じゃ、僕はベースキャンプまで行ってくる!夕食までに戻るよ!」と、足取りも軽く颯爽と去って行きました…。
ユルトキャンプまでの帰りの道のりで、イギリスからきたと言うトレッキングポールを手に歩く本格的ハイカーのおじさんと出会い「ピークレニンに登ろうと思ったけど、血圧が高すぎて断念した」話をしたり、車では行けないベースキャンプまで物資を運ぶロバに遭遇したり。こんな辺鄙な何もない場所なのに、何人も人に出会うのでびっくり。
ユルトまで戻ると、チェックイン時にはまだ空きのあったユルトもいつの間にか全部埋まってました。
湖の写真を撮る人、周辺を散策する人、湖のそばにテントを張る人などがいて、こんなへんぴな場所なのにざっと数えて30−40人くらいでしょうか、結構たくさん人がいました。
ハイキングから戻って1時間半ほどたち、そろそろ日が落ち始めた頃。
まだ戻らないマークに「大丈夫かな?」とちょっと心配になっていると19時頃やっと帰ってきました。
ユルトキャンプ内に設置設置されたコンテナに移動して夕食の時間です。
コンテナ内は、今晩ユルトに泊まるツーリストたちで満席。
英語だけでなく色んな国の言語が聞こえてきます。 食事は時間がかかった上に記憶に残るようなものではなく。スープとパンとトマトが入ったパスタ(と言ってもラグマンに近い感じ)。
食事を終えてユルトに戻ると、ストーブに火が入っていました。
発電機で電気はつきましたが、充電できる場所はコンテナ内で別料金を支払ってチャージするのみ。マークは夜中に夜空の星の写真を撮ると張り切って、持参した寝袋の中に入りミイラのようになり、娘は「充電ができない」と言う心配をよそに、ヘッドフォンをしてハリーポッターの朗読を聴きながら、ママとダディも何もすることがないので9時くらいには皆んな一斉にベッドに入りました。
ベッドに入ってからしばらく経った頃、ふと腕時計を見たらまだ夜11時すぎくらい。
頭がガンガンと痛み始め、とても眠れる状況じゃなくなったママ。どうやら高山病の症状が出てきた様子。 気晴らしにランタンとトイレットペーパーを持ってユルトを出て、漆黒の闇の中をトイレへ。またベッドに戻りじっと横たわるも頭の痛みは増すばかり。 娘もよく寝れないようで「大丈夫?寝れないの?」と声をかけると「胸がドキドキする〜」と。
トイレに行かせて(一人で行くと言って一人で行った)、水を飲ませてまたベッドに入れるも、しばらくしたらまた「頭が痛い」と。 ダディも「頭が痛い」と起きてきて、暗闇の中、懐中電灯で荷物をまさぐり高山病の薬を探し娘に半分に割った錠剤を飲ませました。
ところが、ダディ
「あ、間違った!こっちだ」と。
最初に飲んだ薬は、抗ヒスタミンの薬でした…。(怒)
改めて、娘に高山病の薬を飲ませてベッドに入れると、娘はまた眠りに落ちましたがママは一向に眠れず。
トイレに行く→頭痛を呪いながらも綺麗な星空を眺める→ユルトに戻りベッドに体を横たえる。を何度か繰り返していると、 深夜3時くらいでしょうか「シャァーーーッ」と寝袋のジッパーを開ける音がするとマークがむくっと起き出して、三脚と一眼レフのカメラを持ち夜空に瞬く星の写真を撮りにユルトを出て行きました。キミは頭が痛くないのか??
夜になって気温が大分下がりストーブの薪も燃え尽きて、ユルトの中は分厚い布団一枚かけただけでは肌寒い。
どれくらい時間が経ったのかわからないけれど、マークが星の撮影から戻ってきてまた寝袋に入るジッパーの音がした頃から、ママも高山病の薬が効き始めたのか、やっとうつらうつらし始めた。。。
またトイレに行きたくなって起きたら、まだ6時前。
結局、数時間おきに目が覚め、ユルトの中でよく眠れない一夜を過ごしたのでした。
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