子連れ旅に必要なもの。それは、
「プランニング。」
一に計画、二に計画。三四がなくて五に計画。
計画なくして子連れ旅はありません。
旅が長期に渡れば渡るほど、そして子どもの年齢が上がれば上がるほど子連れ旅のハードルは上がり、このプランニングはますます重要になるでしょう。
と言うのも、
子連れの旅だからこそできる素晴らしい経験を。 わが家の旅の記録と子連れ海外旅行のテクニックから各国の旅情報まで、イギリス・ロンドンから発信中。現在子連れで57カ国。
2013年6月19日水曜日
2013年6月17日月曜日
世界でもっとも子連れに厳しい国はどこ?
子連れで東南アジア旅行開始まであと4日となりました。
現在3歳半の娘にとっては、昨年のロシア横断シベリア鉄道の旅に続き、2回目の子連れ長期旅行となる今回の東南アジア。
そして、ママにとっては、今まで足を踏み入れたことのなかった未開の地…。
その東南アジア周遊の旅を目前にひかえて、日本滞在中に感じること…
それは、これまで子連れで訪れた国の中で、
日本は、残念ながら
「子連れに厳しい国」だな...と感じることです。
例えば、
電車の中で眠ってしまった子どもを抱っこしさらに荷物を持っていても、誰も席を譲ってくれない…。しかも目の前に立ってるのに寝たふり。
バギーを持ち上げて階段を上るお母さんの姿に無関心…。
なんて寂しい出来ごとが日常茶飯事の日本。
これまで子連れで旅して来た国々はでは、何百倍、いや何万倍も子どもとその親に対しての温かさと優しさがあふれていました。
それが、一目見て外国人の旅行者だとしても、周囲のその温かいまなざしは変わりません。
ニコリともせず無愛想な国民性の旧ソビエトの国々では、気がついたら誰でも無言(しかも無表情)で「ささっ」と立って席を譲ってくれたし、陽気なノリの国では、お菓子をくれたり抱っこしてくれたり。
「可愛い赤ちゃんねー」とか「今何ヶ月なの?」とか見知らぬ人がどんどん声をかけてきます。
どんな国でも言葉は分からずとも、困っていてもいなくても、子どもがいることで何かしら声をかけてくれたり気にかけてくれたりします。
いつもそういうところから、子どもがいるということだけで大人だけの旅とは違った新しい経験や出会いが生まれてきました。
日本では、残念ながら、子どもを連れた旅行(特に海外旅行)には否定的な意見を持つ人が大半。
特に、飛行機や電車といった、大勢の人が密室の中で過ごす移動の場所に対する周囲の目が厳しいと感じます。
娘が産まれる前から色んな国を旅してきましたが、小さな子どもがいる旅行者の中心はいつも欧米人です。まだ乳飲み子の赤ちゃんを連れてバックパック旅行をしている欧米人のカップルをたくさん見かけます。
子ども時代の家族旅行の経験は、子どもの性格や志向に大きな影響を与えるのだそうです。確かに旅をしていれば自然に、『適応力』『自主性』『コミュニケーション力』『世界への興味』、それと間違いなく「公共の場での振る舞い方」を培うことができると思います。
日本では、グロ−バル人材の育成などとさかんに言われ、英語の早期教育に力を入れている親御さんも多いと思いますが、これからの時代を生きて行く子どもたちにとって最も重要なのは、「英語」ではなく、どこでも生きて行ける力、いろんな意味での「サバイバル能力」ではないでしょうか。
使えない英語を学ぶよりは、自分の意志や意見をしっかり持つこと、そして自分の言葉で自分の考えを伝えられること、その土地の文化を理解し対人折衝能力を身につける方がよっぽど大事です。
今後ますます国と言う単位を超えてボーダレスな社会になっていく中、異文化の中でも生き抜いていける「スキル」を身につけることが重要となってくるでしょう。
そのスキルを自然と養えるのが「子連れ旅行」なのです。
なんて大層なことを書きましたが、共通言語としての英語は、やはり話せるに越したことはありません。
世界中には英語を話せる人がいっぱいいて、旅をする上で「英語」が話せれば、困ることはありません。
と言うわけで、このブログでは、我が家の子連れ旅の記録と子連れ旅行での各国情報などについて綴っていければいいなぁと思っています。
現在3歳半の娘にとっては、昨年のロシア横断シベリア鉄道の旅に続き、2回目の子連れ長期旅行となる今回の東南アジア。
そして、ママにとっては、今まで足を踏み入れたことのなかった未開の地…。
その東南アジア周遊の旅を目前にひかえて、日本滞在中に感じること…
それは、これまで子連れで訪れた国の中で、
日本は、残念ながら
「子連れに厳しい国」だな...と感じることです。
例えば、
電車の中で眠ってしまった子どもを抱っこしさらに荷物を持っていても、誰も席を譲ってくれない…。しかも目の前に立ってるのに寝たふり。
バギーを持ち上げて階段を上るお母さんの姿に無関心…。
なんて寂しい出来ごとが日常茶飯事の日本。
これまで子連れで旅して来た国々はでは、何百倍、いや何万倍も子どもとその親に対しての温かさと優しさがあふれていました。
それが、一目見て外国人の旅行者だとしても、周囲のその温かいまなざしは変わりません。
ニコリともせず無愛想な国民性の旧ソビエトの国々では、気がついたら誰でも無言(しかも無表情)で「ささっ」と立って席を譲ってくれたし、陽気なノリの国では、お菓子をくれたり抱っこしてくれたり。
「可愛い赤ちゃんねー」とか「今何ヶ月なの?」とか見知らぬ人がどんどん声をかけてきます。
どんな国でも言葉は分からずとも、困っていてもいなくても、子どもがいることで何かしら声をかけてくれたり気にかけてくれたりします。
いつもそういうところから、子どもがいるということだけで大人だけの旅とは違った新しい経験や出会いが生まれてきました。
日本では、残念ながら、子どもを連れた旅行(特に海外旅行)には否定的な意見を持つ人が大半。
特に、飛行機や電車といった、大勢の人が密室の中で過ごす移動の場所に対する周囲の目が厳しいと感じます。
娘が産まれる前から色んな国を旅してきましたが、小さな子どもがいる旅行者の中心はいつも欧米人です。まだ乳飲み子の赤ちゃんを連れてバックパック旅行をしている欧米人のカップルをたくさん見かけます。
使えない英語を学ぶよりは、自分の意志や意見をしっかり持つこと、そして自分の言葉で自分の考えを伝えられること、その土地の文化を理解し対人折衝能力を身につける方がよっぽど大事です。
今後ますます国と言う単位を超えてボーダレスな社会になっていく中、異文化の中でも生き抜いていける「スキル」を身につけることが重要となってくるでしょう。
そのスキルを自然と養えるのが「子連れ旅行」なのです。
なんて大層なことを書きましたが、共通言語としての英語は、やはり話せるに越したことはありません。
世界中には英語を話せる人がいっぱいいて、旅をする上で「英語」が話せれば、困ることはありません。
と言うわけで、このブログでは、我が家の子連れ旅の記録と子連れ旅行での各国情報などについて綴っていければいいなぁと思っています。
2013年6月16日日曜日
【旅のスケジュール作りでまず考えたこと】東南アジア周遊2ヶ月間の子連れ海外旅行
夜な夜なリサーチをした結果できた今回の東南アジア周遊子連れ旅行のスケジュール(娘3歳半)。
おそらく、これを最後に子どもが高校を卒業するまでの少なくとも15年くらいは、子連れで1ヶ月以上の長期旅行をすることはもうないだろうなぁ…。
そう考えるとちょっと寂しい…。
さて、今回のこの子連れでの長期旅行を計画する上で考えたのは、
2. 何をしたいか?
3. 旅の予算
この3点。
子連れ海外旅行を成功させる秘訣は、何と言ってもこの最初の「プランニング」が大事(=>子連れ旅に必要なもの)。
おそらく、これを最後に子どもが高校を卒業するまでの少なくとも15年くらいは、子連れで1ヶ月以上の長期旅行をすることはもうないだろうなぁ…。
そう考えるとちょっと寂しい…。
さて、今回のこの子連れでの長期旅行を計画する上で考えたのは、
まず東南アジア子連れ旅行の中で
1. どこに行きたいか?2. 何をしたいか?
3. 旅の予算
この3点。
子連れ海外旅行を成功させる秘訣は、何と言ってもこの最初の「プランニング」が大事(=>子連れ旅に必要なもの)。
2013年5月19日日曜日
【子連れでモンゴル】 シベリア鉄道で大草原の中にある都市、ウランバートルに到着。
目の前に広がる大草原で日が暮れるまで走り回る子どもたち。
モンゴルの大自然は子どもにやさしい!
ウランバートルを離れれば、信号どころか道路すらも見当たらない一面の草原。
遊牧民のお宅にお邪魔すれば、水洗トイレはもちろん、電気・ガスや水道もない、ようなところなのに、なぜかみな携帯だけは持っています。
子どものうちにぜひ経験させたいモンゴルのこの雄大な風景、特に男の子はこの大自然の中の不便な生活を味わってほしいなぁ。 と思いました。
さて、ウランバートルへ向かうためにロシアのウランウデから乗車した北京行きの電車。
ちょっと見たところ、我が家の乗る車両には、乗客がほとんどおらず、コンパートメントはほとんど空いてました。
我が家のコンパートメントには、ウランバートルに家があるというロシア人のおじさん一人、そしてモスクワ駐在で働いて居るというモンゴル人、30代前半位の英語が話せる男性一人と、わが家二人プラス娘で定員ちょっとオーバー気味。
皆んなでぎゅうぎゅうなのにも関わらず、融通の効かない中国人の車掌は、断固として他のコンパートメントの使用を許してくれず。
ところがどうしたことか。モンゴル人男性だけは、隣のコンパートメントへと移っていきました。袖の下を使ったのでしょうか? 国境あたりで爆量の荷物を電車に運び入れようとする人々のカオスぶりなんかを見てると、あり得なくない話です。
改めて、トイレに向かうため車内を歩いて見たところ、1車両に、大人4人、子ども一人、つまり、わが家三人とロシア人のおじさん、駐在モンゴル人のメンバーだけです。
そして、モンゴル人男性のいる部屋と我が家のいる部屋以外は、全部空いていました。ちなみに、勝手に部屋を移ることがないように、他のコンパートメントには、ご丁寧に鍵までかけてありました。
同じ部屋のロシア人のおじさんは英語がまったく話せず、ベッドに横たわり一人分厚い本を読んで自分の世界にはいっているので、必然的に駐在モンゴル人男性と通路でお話しすることに。
この人には、娘より少し小さな子どもがいるそうで、同じ年代の子どもを持つ親として、自然と会話も弾みます。
明日は、子どもの誕生日なので、それに合わせて帰省するのだ!と教えてくれました。
この日、電車の中では何もする事がないので、通路をウロウロしたりするうちにやがて娘は就寝時間に。その後、皆んな早めにベッドに入りました。本当にすることがないので。
ガタンゴトンという電車の音を聞きながらいつの間にか眠りにつき、気がつくと朝になってました。
ウランバートルには、朝の6時30分に到着。
駅の周りはなんとも殺風景で、野原にぽつんとある駅って感じ。
宿泊先のホステルに迎えを頼んでいましたが、誰もおらず・・・。
待てどくらせど、誰も駆け寄ってこないし、キョロキョロとあたりを見回すも、我が家の名前を書いた紙を持った人はどこにも見当たらない。。。
次々と去っていく、ゲストの名前を書いた紙を掲げた迎えの人は、電車から降りてくる乗客の中から自分の客を見つけて駅を出て行きます。
メールで事前にさんざんやりとりしていただけあって、迎えの人がいないのは何かの間違いだろう。荷物もあるし、自力で宿まで行く前に、念のため連絡をとってみようと思ったら、ちょうど半端ない量の荷物(軽く見積もってダンボール5箱とかあった)を運び屋に運ばせている、駐在モンゴル人男性に遭遇。
理由を話したら、彼の奥さんの携帯からホステルに電話をかけてくれました。
「10分で迎えに行くから!」といわれ、駅で待つこと本当に約10分。
宿のオーナーの息子だという、流暢なアメリカン英語を話すまだ若い男性が、平謝りしながらやって来ました。 手配していた車のタイヤがパンクして来れなかったとのこと。(よくありそうな言い訳で、きっと寝坊しとかだと思うけど。)
ということで、まだピカピカな彼の新車で、わが家が宿泊するホステルへと連れて行ってくれました。
オーナーの息子は、カナダのバンクーバに留学していたということで英語が流暢で、西欧スタイルを理解したかなりやり手のビジネスマンな感じ・・。良くありがちな、観光客からお金をふんだくってやるぞーとか、適当にあしらう感じとか、なんか知らんがギラギラした感じもなく、誠実な対応だったので、迎えにきてなかったことは、どうでも良くなりました。それにしても、モンゴルでは、英語が話せて観光業やってると、かなり儲かるんだなぁ。
ウランバートルの宿は、街中心にあるアパートメントのワンフロアーの「ザヤ・ホステル」というところ。一部屋はオフィスとして使用され、次期オーナーである息子のデスクがありました。宿のオーナーである息子のお母さん、ザヤさんは、もともとは弁護士だったそうで、ちょうど娘と同じ年くらいのお孫さんがいるとのこと。
滞在中は、娘のことをたいそう可愛がってくれました。 また、このホステルで働いているモンゴル人の女の子も、手が空くと娘と一緒に遊んでくれて、ホステルなのでシンプルな部屋でしたが、とてもアットホームな雰囲気でした。っていうか、街中心部にいくつか不動産持ってると、できることがやっぱり違うのねぇ。
わが家は、ウランバートルには次の目的地、北京へ向かうまでの合計5日間の滞在予定で、ザヤさんと息子さんに滞在中の大体の予定と希望を伝えると、モンゴルでの旅行プランの提案やドライバーの手配など、全てやってくれました。
子連れには、至れり尽くせりでとてもありがたい宿でした。
モンゴルの大自然は子どもにやさしい!
ウランバートルを離れれば、信号どころか道路すらも見当たらない一面の草原。
遊牧民のお宅にお邪魔すれば、水洗トイレはもちろん、電気・ガスや水道もない、ようなところなのに、なぜかみな携帯だけは持っています。
子どものうちにぜひ経験させたいモンゴルのこの雄大な風景、特に男の子はこの大自然の中の不便な生活を味わってほしいなぁ。 と思いました。
さて、ウランバートルへ向かうためにロシアのウランウデから乗車した北京行きの電車。
ちょっと見たところ、我が家の乗る車両には、乗客がほとんどおらず、コンパートメントはほとんど空いてました。
我が家のコンパートメントには、ウランバートルに家があるというロシア人のおじさん一人、そしてモスクワ駐在で働いて居るというモンゴル人、30代前半位の英語が話せる男性一人と、わが家二人プラス娘で定員ちょっとオーバー気味。
皆んなでぎゅうぎゅうなのにも関わらず、融通の効かない中国人の車掌は、断固として他のコンパートメントの使用を許してくれず。
ところがどうしたことか。モンゴル人男性だけは、隣のコンパートメントへと移っていきました。袖の下を使ったのでしょうか? 国境あたりで爆量の荷物を電車に運び入れようとする人々のカオスぶりなんかを見てると、あり得なくない話です。
改めて、トイレに向かうため車内を歩いて見たところ、1車両に、大人4人、子ども一人、つまり、わが家三人とロシア人のおじさん、駐在モンゴル人のメンバーだけです。
そして、モンゴル人男性のいる部屋と我が家のいる部屋以外は、全部空いていました。ちなみに、勝手に部屋を移ることがないように、他のコンパートメントには、ご丁寧に鍵までかけてありました。
同じ部屋のロシア人のおじさんは英語がまったく話せず、ベッドに横たわり一人分厚い本を読んで自分の世界にはいっているので、必然的に駐在モンゴル人男性と通路でお話しすることに。
この人には、娘より少し小さな子どもがいるそうで、同じ年代の子どもを持つ親として、自然と会話も弾みます。
明日は、子どもの誕生日なので、それに合わせて帰省するのだ!と教えてくれました。
この日、電車の中では何もする事がないので、通路をウロウロしたりするうちにやがて娘は就寝時間に。その後、皆んな早めにベッドに入りました。本当にすることがないので。
ガタンゴトンという電車の音を聞きながらいつの間にか眠りにつき、気がつくと朝になってました。
ウランバートルには、朝の6時30分に到着。
駅の周りはなんとも殺風景で、野原にぽつんとある駅って感じ。
宿泊先のホステルに迎えを頼んでいましたが、誰もおらず・・・。
待てどくらせど、誰も駆け寄ってこないし、キョロキョロとあたりを見回すも、我が家の名前を書いた紙を持った人はどこにも見当たらない。。。
次々と去っていく、ゲストの名前を書いた紙を掲げた迎えの人は、電車から降りてくる乗客の中から自分の客を見つけて駅を出て行きます。
メールで事前にさんざんやりとりしていただけあって、迎えの人がいないのは何かの間違いだろう。荷物もあるし、自力で宿まで行く前に、念のため連絡をとってみようと思ったら、ちょうど半端ない量の荷物(軽く見積もってダンボール5箱とかあった)を運び屋に運ばせている、駐在モンゴル人男性に遭遇。
理由を話したら、彼の奥さんの携帯からホステルに電話をかけてくれました。
「10分で迎えに行くから!」といわれ、駅で待つこと本当に約10分。
宿のオーナーの息子だという、流暢なアメリカン英語を話すまだ若い男性が、平謝りしながらやって来ました。 手配していた車のタイヤがパンクして来れなかったとのこと。(よくありそうな言い訳で、きっと寝坊しとかだと思うけど。)
ということで、まだピカピカな彼の新車で、わが家が宿泊するホステルへと連れて行ってくれました。
オーナーの息子は、カナダのバンクーバに留学していたということで英語が流暢で、西欧スタイルを理解したかなりやり手のビジネスマンな感じ・・。良くありがちな、観光客からお金をふんだくってやるぞーとか、適当にあしらう感じとか、なんか知らんがギラギラした感じもなく、誠実な対応だったので、迎えにきてなかったことは、どうでも良くなりました。それにしても、モンゴルでは、英語が話せて観光業やってると、かなり儲かるんだなぁ。
ウランバートルの宿は、街中心にあるアパートメントのワンフロアーの「ザヤ・ホステル」というところ。一部屋はオフィスとして使用され、次期オーナーである息子のデスクがありました。宿のオーナーである息子のお母さん、ザヤさんは、もともとは弁護士だったそうで、ちょうど娘と同じ年くらいのお孫さんがいるとのこと。
滞在中は、娘のことをたいそう可愛がってくれました。 また、このホステルで働いているモンゴル人の女の子も、手が空くと娘と一緒に遊んでくれて、ホステルなのでシンプルな部屋でしたが、とてもアットホームな雰囲気でした。っていうか、街中心部にいくつか不動産持ってると、できることがやっぱり違うのねぇ。
わが家は、ウランバートルには次の目的地、北京へ向かうまでの合計5日間の滞在予定で、ザヤさんと息子さんに滞在中の大体の予定と希望を伝えると、モンゴルでの旅行プランの提案やドライバーの手配など、全てやってくれました。
子連れには、至れり尽くせりでとてもありがたい宿でした。
場所:
モンゴル ウランバートル
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